あひる父の酒武勇伝
今日はクリスマスイブイブ(って言うのか?)、岡山の実家の父の誕生日です。亡くなってから何年経つでしょうか。そうそう、あれは「酒と語りと醸しと私」イベントの第2回の年でしたから2011年だと思います。
とにかく父は酒好きでした。とにかく楽しくなりたいから飲む、酔いたいから飲むという感じで、味わう、嗜むというような上品な愛し方ではありませんでした。
そんな父の酒武勇伝を振り返ります。
(1)からみ酒
仕事から帰って来る時、かなり酔っ払っていたことも多く、帰宅すると子どもに「全員集合」命令が出されました。正座させられ、ねちねちとからまれて泣くまで許してくれませんでした。
そんな父のことを小学生の私は、担任の先生に提出する日記にこう綴ったことを覚えています。
「お父さんはとてもやさしいけど、お酒を飲むと鬼のようになります」。
って、ちょっとー、これ完全にあかんやつ!!
気を取り直して……。
(2)友達酒
とにかく父は普段は陽気で明るく、外面がよかったそうです。母は「お父さんは、会う人合う人『ワシの親友じゃ!』いうて、どんだけ親友が多いんじゃ?」と言っていたくらいです。
私が実家で部活動の同窓会をした時には、無関係なのに父が乱入してきて上機嫌で私の同級生たちと飲みまくったあげく
「今日はワシのために集まってくれてありがとう!!」と退場していきました。
いや、誰もお父さんのために集まってないから!
とにかく「今日は一緒に飲んでくれてありがとう!」「うれしいのう!」と繰り返す、誰とでも友達になる酒でした。
少し挽回!
(3)詩人酒
私がまだ中学生だった頃。
父は居間で一人で飲んで盛り上がっていました。
と、突然そばにあった硯に墨汁を注いだかと思うと、筆にたっぷりとふくませて襖に黒々と文字を書き始めたのです!
あっけにとられる家族一同。
漢詩もどきの七五調の文字が襖一面に書きつけられ、最後に「子らへの遺言」と締めくくられました。
それを見て母激怒。
「遺言なんて縁起の悪い!やめんさい!」
そこで父はあわてて文字を付け加え「子らへ遺す言葉」としました。
翌朝、起きてきた父は居間の襖を見て真っ青に。
「これはワシが書いたんか?」
そうです、父は自分が得意げに「遺言」を書きつけたことを忘れていたのでした。
この時の襖は、父の酔った時のしわざを戒めるため、古ぼけるまでずーーっと居間でそのまま使われていました。最初は圧迫感がありましたが、すぐに慣れて気にならなくなりました。その後、岡山を離れていると、いつの間にか新しいものに替わっていて残念なことに写真は残っていません。
まあ、こういうのはネタにもなるし許せる酒ですね。
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